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*Inu no Senaka* Original Handmade

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1 9 2 0〜1920年代〜 リバティの歴史
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    リバティ百貨店の2つの建物で、有名なのはチューダー・ハウスです。この建物は、他の改修工事が終了するまでの間、取引が中断されないようにと最初に建てられました。
    1924年、チューダー・ハウスは、HMSインプレグナブルとHMSヒンダスタンという2隻の木造船を解体した木材を利用してつくられました。グレート・マールボロー・ストリートに建つこの店舗の正面幅は、ヒンダスタン号の船長と同じ長さです。
     どちらの店舗も設計者はエドウィン T. ホールとその息子エドウィン S. ホールです。二人は、チューダー朝の建築様式を、1920年代当時の高さの建物で再現させました。ショップは3ヵ所の光井(明り取り用の吹き抜け)をめぐるように設計されており、これらが建物の中心となっています。アーサー・リバティは、お客様が来店したときに自分の家の中にいるような気分を味わってもらいたいと考えていたため、これらの吹き抜けの各々は小さな部屋で囲まれ、家庭的な雰囲気を醸し出しています。部屋の多くには暖炉が設けられていましたが、そのいくつかは今も残っています。吹き抜けには、エキゾチックなラグやキルトを飾る心地よい空間をつくりだし、小さな部屋々々には小物がディスプレイされています。
     リバティ店のテキスタイル部門は、1920年代に成長しました。長期的な投資対象としては、衣料品用のファブリックよりも調度品用のファブリックの方が重視されるようになっていました。リバティは、1920年代風のスタイルを引き立てるため、1930年代風の華やかな雰囲気を備えたシンプルなラインの細かいデザインのプリントを取り入れました。この細かく繊細な花模様は、“リバティプリント”として知られるようになります。そしてこの時期リバティは、幅広い衣料用ファブリックを提供しました。コットンやシルク、ベルベット、ウール、“サンクリーム・クレープ”のような半合成素材も取り扱いました。
     この時期最も有名なファブリックは、後にリバティのベスト・セラーとなる“タナローン”です。1939年には、リバティプリントに対する需要に応えるため、リバティ・オブ・ロンドン・プリンツという名の卸売り会社が設立されました。
     1932年、会社の一新を目的に、リージェント・ストリートの服飾部門にジョルジュ・ペローが送り込まれました。リバティのデザイナーとしてクチュリエであるポール・ポワレを招いたのもペローです。ポワレがリバティのためにデザインした4種類のコレクションは、リバティの伝統は受け継いでいましたが、その当時の流行にはそぐわないものでした。芸術的なイメージよりもシックな印象の方が好まれるようになっていたからです。そこでリバティは、ハリウッドや映画に対する文化的関心の高まりに注目することにしました。
     1917年、創設者アーサー・ラセンビィ・リバティが亡くなりました。美しい新店舗が完成する7年前のことでした。
    | ファッション雑学 | 17:27 | - | - | - | - |