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*Inu no Senaka* Original Handmade

オーダー受付中で〜す(^^)
ご希望のサイズで手作り制作致します。
オーダーハンドメイドのギャラリー&ショップです♪
女性衣服・子供服・等々...気軽にお問合せ下さいね!
麻のこと
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    私たちが日ごろ麻と呼んでいるのは、実は1種ではありません。

    麻は、木や草に含まれている繊維の総称で、20種近くあります。同じ麻と呼ばれながらも、原料となる植物によって、それぞれまったく性質が異なるのです。

    私たちの身近にある麻は、リネン、ラミー、ヘンプなどが代表的なものでケナフ、ジュートがあり、その中で最も肌に優しい繊維こそ、リネンなのです。

    リネンが日本で作られるようになったのは明治時代以降のこと。
    ヨーロッパでは古い歴史のあるリネンですが、日本では一般的にはまだあまり馴染みのない存在かもしれません。

    リネン→麻→硬くてゴワゴワ・・という印象をお持ちの方は、ぜひ本物のリネンをお手に取ってみてください。
    そのしなやかな肌触りにきっと驚かれるはずです。

    リネンもラミーも洋服や家庭用品のタグに「麻」と表示されていますが(※1)、品質の良いリネン製品には「麻」という表示とは別に、「リネン」と表示されています。
    同じ「麻」がリネンかラミーかによって、
    その後の使用感や肌触りがまったく違ってきます。

    ※1家庭用品品質表示法で、タグに「麻」と表示できるのはリネンと
      ラミーだけです。
    | ファッション雑学 | 18:09 | - | - | - | - |
    LIBERTY FABRIC リバティファブリック
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      LIBERTY FABRIC リバティファブリック 
      リバティファブリックは、クラシックとファッションの2レンジで編集され、年2回、パリのプルミエール・ヴィジョン(欧州最大の生地見本市)で、コレクションとして発表されています。またリバティファブリックを代表する素材としてタナローンがあります。

      CLASSIC〜クラシック〜 
      このレンジは、リバティ社の創立当初から引き継がれたアールヌーボー柄や、この時代の典型的モチーフだった花や植物、様々なペーズリー、森や庭園で遊ぶ鳥や小動物などが、いずれも繊細で流動的な線で描かれ、モノトーンから多色まで微妙な色のハーモニーを生み出しています。
       このレンジの柄を、アールヌーボー、ペーズリー、花柄、幾何柄に分類しています。
      アールヌーボーには、リバティ社の象徴柄である「ピーコック・フェザー」や、「アイアンシ」などがあります。また、リバティファブリックといえば、「花柄」と言われるように、人気の高い親しみのある花柄は、独特な色調と繊細な図柄が特徴で、もっともバリエーションが豊富です。

      FASHION〜ファッション〜 
      ファッションレンジといわれる新柄コレクションは、年2回、春夏と秋冬のシーズンごとに、斬新なデザインテーマで編集され、オリジナルのカラーテーマごとに発表されます。
      このコレクションは、従来のリバティファブリックのイメージを一新しています。
      近年、ファッション業界では、リバティ社の洗練されたモダンなコレクション内容が注目されています。

      TANA LAWN〜タナローン〜
      1920年代、絹の様なつやと手触りの上質な綿ローンを幅広く提供したいという願いから開発された「タナローン」。
      スーダンのタナ湖付近から採取された超長綿を使用し、独特のしなやかさ、柔らかな肌触りと軽さ、豊かなドレープ性をもつこの素材はタナ湖にちなんで、「タナローン」と名付けられました。
      | ファッション雑学 | 17:34 | - | - | - | - |
      日本との繋がり リバティの歴史
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        1978年、日本に向けてリバティの布地の輸出販売が開始されます。アーサー・L・リバティがリージェント・ストリートに開いた小さな店に、最初に東洋の絹を輸入した国が日本でした。それから100年余りの時を経て、東洋の影響を受け英国流の自由な発想で創られたリバティプリントは、ふるさとでもある日本へ輸出されるようになります。
         1981年に当時のリバティ社デザイン・ディレクター指導の元、日本でプロジェクトチームを発足し、リバティプリントの再現性を重視した国内生産に向けての開発を始めます。1988年、高品質なリバティプリントを日本の顧客へ幅広く提供するために、英国と日本が共同出資したリバティジャパンが設立されました。
         1998年よりリバティプリントを「リバティファブリックコレクション」として、欧州の主な繊維業界の展示会に出展し始めます。そして、その独創的で力強いプリントコレクションは業界で注目されるようになります。
         1999年、日本では「リバティ・スタイル展」が東京都庭園美術館を皮切りとして、全国11ケ所の美術館で開催され話題となりました。この展覧会では、19世紀末にリバティ社がデザイナー達と共同で開発し、制作販売した様々な装飾調度品、食器、ジュエリー、テキスタイルを世界中のコレクターや美術館から集めて展示しました。
         2006年3月、リバティ百貨店は歴史ある建物として人々に親しまれているチューダー・ハウスの改装工事を終えてリニューアルオープンしました。リバティ社はその独創的な品揃えの百貨店とテキスタイルにおいて常にトレンドを発信し、英国のみならず日本そして世界の人々へ感動を与えています。
        | ファッション雑学 | 17:31 | - | - | - | - |
        LIBERTY NOW〜リバティ・ナウ〜 リバティの歴史
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          リバティは独自の存在で、ファッションの最先端に位置しています。常に革新的で、最高のデザイナーを求め、彼らと力を合わせています。リバティは独創性を重んじ、創造的な精神を歓迎します。アーサー・リバティの理念はいまだに行き続けていますし、今後も人々の五感に訴え、これらを満たしながら、創造力(=イマジネーション)にかかわっていきたいと考えています。
          | ファッション雑学 | 17:29 | - | - | - | - |
          1 9 5 0〜1950年代〜 リバティの歴史
          0
            リバティは、1950年代もファッショナブルで折衷的なデザインを追及し続けました。店舗のすべての部門は、モダンなデザインと伝統的なデザイン両方のコレクションを有していました。新進のデザイナーたちが起用されましたが、中にクラフトワークに対するリバティの情熱を持ち続けているデザイナーたちもいました。リバティは、ジオ・ポンティ、ロビン・デイ、ルシエン・デイ、アーニ・ジェーコブセン、フィン・ジュール、パオロ・ベニーニ、マリアン・ストローブ、ロバート・スチュワート、アルシア・マクニッシュなど、有望な工芸作家たちも支援しています。
             1960年代にはファッションに対する情熱が高まりました。メンズ・ファッションにおいてもレディース・ファッションにおいても、基本とされたのは華やかさと高級感。東洋の影響も復活しました。アールヌーボーがもてはやされ、リバティも、アーカイブに残っていた調度品用のデザインを衣料品用のシルクに採用したのです。 1960年代の“ロータス・コレクション”は、20世紀初頭の花柄を力強く色鮮やかに再現したものです。これらのプリントは、Tuffin and Foale、ジーン・ミュア、マリー・クアント、ビクター・スティーベル、ビル・ブラス、キャシャレル、アーノルド・スカッシ、イブ・サンローランなど、トップ・レベルのクチュリエたちから高く評価され、コレクションに採用されました。
             1975年、リバティは創立100周年を迎えました。これを記念して、ビクトリア&アルバート美術館では大規模な展覧会が開かれました。
            | ファッション雑学 | 17:28 | - | - | - | - |
            1 9 2 0〜1920年代〜 リバティの歴史
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              リバティ百貨店の2つの建物で、有名なのはチューダー・ハウスです。この建物は、他の改修工事が終了するまでの間、取引が中断されないようにと最初に建てられました。
              1924年、チューダー・ハウスは、HMSインプレグナブルとHMSヒンダスタンという2隻の木造船を解体した木材を利用してつくられました。グレート・マールボロー・ストリートに建つこの店舗の正面幅は、ヒンダスタン号の船長と同じ長さです。
               どちらの店舗も設計者はエドウィン T. ホールとその息子エドウィン S. ホールです。二人は、チューダー朝の建築様式を、1920年代当時の高さの建物で再現させました。ショップは3ヵ所の光井(明り取り用の吹き抜け)をめぐるように設計されており、これらが建物の中心となっています。アーサー・リバティは、お客様が来店したときに自分の家の中にいるような気分を味わってもらいたいと考えていたため、これらの吹き抜けの各々は小さな部屋で囲まれ、家庭的な雰囲気を醸し出しています。部屋の多くには暖炉が設けられていましたが、そのいくつかは今も残っています。吹き抜けには、エキゾチックなラグやキルトを飾る心地よい空間をつくりだし、小さな部屋々々には小物がディスプレイされています。
               リバティ店のテキスタイル部門は、1920年代に成長しました。長期的な投資対象としては、衣料品用のファブリックよりも調度品用のファブリックの方が重視されるようになっていました。リバティは、1920年代風のスタイルを引き立てるため、1930年代風の華やかな雰囲気を備えたシンプルなラインの細かいデザインのプリントを取り入れました。この細かく繊細な花模様は、“リバティプリント”として知られるようになります。そしてこの時期リバティは、幅広い衣料用ファブリックを提供しました。コットンやシルク、ベルベット、ウール、“サンクリーム・クレープ”のような半合成素材も取り扱いました。
               この時期最も有名なファブリックは、後にリバティのベスト・セラーとなる“タナローン”です。1939年には、リバティプリントに対する需要に応えるため、リバティ・オブ・ロンドン・プリンツという名の卸売り会社が設立されました。
               1932年、会社の一新を目的に、リージェント・ストリートの服飾部門にジョルジュ・ペローが送り込まれました。リバティのデザイナーとしてクチュリエであるポール・ポワレを招いたのもペローです。ポワレがリバティのためにデザインした4種類のコレクションは、リバティの伝統は受け継いでいましたが、その当時の流行にはそぐわないものでした。芸術的なイメージよりもシックな印象の方が好まれるようになっていたからです。そこでリバティは、ハリウッドや映画に対する文化的関心の高まりに注目することにしました。
               1917年、創設者アーサー・ラセンビィ・リバティが亡くなりました。美しい新店舗が完成する7年前のことでした。
              | ファッション雑学 | 17:27 | - | - | - | - |
              1 8 9 0〜1890年代〜 リバティの歴史
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                1890年代、アーサー・ラセンビィ・リバティは、英国を先導する数々のデザイナーたちと良好な関係にありました。
                リバティと交流のあったデザイナーの多くは、アーツ・アンド・クラフツ運動やアールヌーボーにおける中心的存在でした。テキスタイル業界の中心人物のリンゼイ P. バタフィールドや、芸術のあらゆる分野で活躍した優秀なデザイナー、アーチボルド・ノックスなどです。リバティは、これらのデザイナーをバックアップすることで、アールヌーボーの発展に貢献したのです。そして、自らの店舗を、格式の面でも利益の面でもロンドン一の店にしたいと考えるようになりました。
                | ファッション雑学 | 17:25 | - | - | - | - |
                Eariy Years〜設立当初〜 リバティの歴史
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                  アーサー・ラセンビィ・リバティは、1843年、バッキンガムシャーのチェシャムで生まれました。ロンドンのケンジントンで国際博覧会が開かれた1862年、リージェント・ストリートのファーマーズ・アンド・ロジャーズ商会に入社。およそ10年間の勤務を経て、1874年、家庭用品やファッションのスタイルを変えられるとの信念にもとづき、自らビジネスを始めることを決意しました。
                   義父から2000ポンドの資金を借り入れたアーサー・リバティは、ファーマーズ・アンド・ロジャーズ商会の向かいのリージェント・ストリート218番地に2分の1店舗分のスペースを賃借しました。当時リバティが雇うことができたのは、16歳の少女と日本人の少年だけ。しかし開店の日、ファーマーズ・アンド・ロジャーズ商会時代の同僚だったウィリアム・ジャッドも、リバティの新事業に参加しようと駆けつけたのです。
                   1875年にオープンした店舗は、日本や東洋の装飾品、ファブリック、美術品などを販売していました。18ヶ月も経たないうちに、リバティは借金を返済し、リージェント・ストリート218番地の店舗の残り半分のスペースも手に入れました。そして事業が拡大するにつれ、近隣の物件も買い入れられ、店舗に追加されていったのです。
                   1885年にはリージェント・ストリート142−4番地の物件を取得し、カーペットや調度品に対する需要に応えるための店舗をオープン。この店舗の地下は“イースタン・バザール”と呼ばれ、“室内装飾品”とされるあらゆる物が揃っていました。リバティはこの店を、生まれ育った地にちなんでチェシャム・ハウスと名づけました。
                   リバティは、創業当初から、日本の繊細な製品は、質が低下してしまうことに気づいていました。そこでジャワやインド、インドネシア、ペルシャなど、世界の様々な地域から製品の調達を開始しました。しかし東洋のファブリックは、仕立屋や家具商が扱うには繊細すぎたため、英国の染物屋やメーカーを捜し、東洋風のファブリックの生産を試みました。リバティは、普通の人々に対しても、美しいものを手に入れるチャンスを提供したいと考えていたのです。
                   リバティ店はロンドンでも最もおしゃれな店舗になり、そのファブリックは衣類と調度品の両方に使用されるようになりました。顧客には外国人も多く、ロセッティやレイトン、バーン-ジョーンズなど、ラファエル前派に属する有名なアーチストもいました。やがてリバティに対する需要が供給を上回るようになると、リバティは、既製のファブリックを輸入して、それを英国で無地染めもしくは、プリントするという方法を採用しました。このために、スタフォードシャー州リークのトーマス・ワードルと、サリー州マートン・アビーのエドマンド・リトラーという2社の捺染会社の技術を活用しました。
                   1890年代には、リバティは、すべての生産業務をリトラーズの捺染工場に依頼するようになりました。そして、リトラーズが手作業で生産したブロック捺染製品の高い品質は、“リバティ・アート・ファブリック”の象徴となりました。1881年、リバティの競争相手だったウィリアム・モリスが、ウォンドル川にあった下流部門の捺染工場をリバティから購入しました。このときリバティはこう言ったと伝えられています。「私たちは、下流の汚れた水をモリスに回したのです。」1904年には、リバティがマートンの捺染工場を買収しました。
                   1884年、リバティは、エドワード・ウィリアム・ゴッドウィン(1833−86年)の指揮のもと、リージェント・ストリートの店舗に服飾部門を開設しました。ゴッドウィンは有名な建築家で、芸術のあらゆる側面に価値があると考えていました。彼は、1882年にCostume Societyが設立されたときの創立者の一人でもありました。パリのファッションに対抗して社内で衣料品をデザインするにあたり、彼のビジョンはリバティのビジョンをそのまま反映していました。
                   ゴッドウィンは1886年に死去しましたが、彼のインスピレーションはその後も社内全体で生き続けました。彼の死は、1882年のロセッティの死、1896年のウィリアム・モリスの死、そしてホイッスラーのパリへの移住とともに、耽美主義運動の終わりを示していました。そして新たな動きも生まれていました。リバティはその動きの流れの中で、中心的役割を果たすことになります。
                  | ファッション雑学 | 17:10 | - | - | - | - |
                  リネンの文化と特性 - リネン(亜麻)について
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                    ヨーロッパにおいては、その長い歴史の中で、リネン文化といわれるものがあります。                                                        例えば、「ホームリネン」といえば シーツ、ピロケース、パジャマ、バスタオルなどを指し、「テーブルリネン」といえば、テーブルクロス、ナプキンなどを指します。このように リネンは、豊かな心地よいライフスタイルに欠かせないものとして、生活に密着しているのです。これは リネンが数々の素晴らしい魅力を備えた珠玉の天然繊維だからです。

                    ●吸水・発散性に優れています
                    リネン素材は、肌にやさしく、サラッとして、爽やかな涼感があるのが大きな特性です。それは、コットンやシルクに比べ、吸水・発散性に優れているため、水分や汗をすばやく吸い取り、かつ発散させるからです。



                    ●タフで清潔さを保ちます
                    リネンは天然素材の中で、最も汚れが落ちやすく、洗濯にも強い素材です。繰り返し洗うごとに柔らかさはいっそう増し、白いものはさらに白くなります。
                    世界の一流ホテルがベッド回りやテーブル回り、バス回り等にリネンを使用する理由がここにあります。

                    ●お肌に、心に優しい素材で
                    リネンの繊維にはペクチンが含まれているため、触れてもチクチクせず、つねにソフトなので、お肌にそっと当ててみたくなります。
                    夏には、汗をすばやく吸い取ってくれるので、身体はいつも爽やかで清涼感に包まれます。さらに防カビ性に優れ、雑菌の繁殖を抑制するため、臭いも抑えます。
                    また逆に、繊維の中に空気が含まれていて、天然のサーモスタットの役目を果たしてくれるので、寒い季節には暖かく包み込んでくれます。つまり、リネンはオールシーズンに適した繊維なのです。
                    | ファッション雑学 | 15:40 | - | - | - | - |
                    リネンの特徴 - リネン(亜麻)について
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                      亜麻(リネン)は、通常、植物体からスライバーまでをフラックス(Flax)と呼び、糸及び製品はリネン(Linen)と呼ばれています
                      亜麻科に属する一年生の草木で、草丈は100日内外で80〜120cmに伸長し、茎の直径は1.5mm内外、梢部は分枝して先端に花をつけます。花は五弁の可憐な花で、色は紫または白が普通ですが、青やバラ色のものも見られます。
                      種子は、扁平で長卵形、長さ4〜6mm、幅2〜3mm、厚さ0.8〜1mmで、千粒量は3.5〜5g、1Lの粒数は16〜17万個です。
                      繊維は、茎の靭皮部ペクチン等のガム質によって融着され、 短繊維は多角形の細長いプリズム状で、両端に向かって漸次細まり、先端は尖っています。細胞壁は、厚く、中空孔(ルーメン)がありますが、他の靭皮繊維に比べ小さくなっています。 繊維の太さは、茎の性状や部位によって異なりますが、通常その幅は15〜19ミクロン、長さは20〜30mmで、この様な短繊維が分枝によって10〜45個連結して、網目状の緩やかな繊維束を形成しています。しかし結合の度合いは、品種、育成条件、茎の部位等によって異なります。
                      | ファッション雑学 | 18:51 | - | - | - | - |